鹿鳴館と文明開化

日比谷通りを挟み日比谷公園の向かい側にあるNBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)向かって左の塀(帝国ホテルとの境)に、「鹿鳴館跡」のプレートがあります。

ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であり、その黒門は戦前まで国宝でした。その中に鹿鳴館が建てられ、いわゆる鹿鳴館時代の発祥地となりました。

明治維新後の新政府は本格的な西洋建築を次々と建設し、近代国家であることを世界に示そうとしました。そうした文明開化のシンボルとなったのが、海外からの賓客や外交官をもてなす社交場として一斉を風靡(ふうび)した鹿鳴館です。

鹿鳴館は、イタリアルネッサンス様式に英国風を加味した2階建て煉瓦造り。舞踏会場となる大広間や、大食堂、宿泊施設を備えており、バーやビリヤード室まで設けられました。設計は、工部大学校(現在の東京大学工学部)の教官としてイギリスから招かれたジョサイア・コンドル。建設を請け負ったのが、明治政府の仕事を幅広く手掛けていた、大倉喜八郎です。これが現在の大成建設へつながるわけです。

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コンドルは若く実務経験はなく、お雇い外国人として来日。彼は東洋に対する憧れが強くこの建物は評価が分かれるところでした。後年川鍋暁斎との師弟関係はつとに有名であり、彼の弟子として東京駅や日銀本店の設計をした 辰野金吾等育てた事で名を残しています。

建設のプロデューサーは外務卿(内閣制度以降は外務大臣)井上馨です。当時の日本外交の課題は不平等条約改正交渉、そのため井上は欧化政策を推進し、欧米風の社交施設を建設して外国使節を接待し、日本が文明国であることを広く諸外国に示す必要があると考えたわけです。

条約改正反対にはイギリスの強硬姿勢があり、駐日英国公使パークスの日本を遅れた非文明国とみる日本観が大きな影響をおよぼしていました。維新以来の開化派であった井上としては、江戸時代末期に交わした不平等条約の改正という悲願がありました。文明国(欧米からみた文明国)としての日本のレベルを示し、西欧諸国の日本蔑視を改めさせ、対等な外交交渉を望む当時の指導者たちの熱い想いがこめられた建物が鹿鳴館だったわけです。

舞踏会

日本の政府高官やその夫人でもその大部分は西欧式舞踏会におけるマナーやエチケットなどを知るすべもなく、その物の食べ方、服の着方、舞踏の仕方などは、西欧人の目からは様にならないものでした。本人たちは真剣勝負だったが、準備不足もあり試行するも錯誤ばかりが目立ちました。

西欧諸国の外交官もうわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら、その書面や日記などにはこうした日本人を「滑稽」などと記して嘲笑していた。また、ダンスを踊れる日本人女性が少なかったため、ダンスの訓練を受けた芸妓が舞踏会の「員数」として動員されていたことがジョルジュ・ビゴーの風刺画にも描かれ、さらに高等女学校の生徒も動員されていたといいます。

しかし、指導者の熱い思いと鹿鳴館を華やかに演出した女性の存在も決してわすれてはなリません。

特に日本の女子留学生第一号大山捨吉 戸田良子(岩倉具視の娘)、陸奥宗光夫人で陸奥亮子らが『鹿鳴館の華』と呼ばれていました。

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文明開化の象徴といわれた鹿鳴館ですが、「文明開化」という言葉は福澤諭吉が『文明論之概略』明治8年(1875年)の中で、civilizationの訳語として使ったのが始まりです。この中では単純に西洋の文化・風俗を模倣したものから、或いはそれら文化や風俗を手本としながら日本の既存文化との融合を図ったもの、更には既存文化を西洋風にアレンジしたものなど多岐に渡り、過渡期的には熱病の如き流行となって様々な社会階層に受け入れられていきました。

文明開化の例としては・洋装(西洋風の服装),靴,ざんぎり頭・西洋料理(牛肉,牛乳,パンなど)・ガス灯,ランプ・馬車,人力車,洋風建築(レンガ造りの建物)・太陽暦の採用(1日は24時間,1週間は7日,日曜日は休日になる)等があげられます。

この時代を象徴する言葉として有名なものに「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」という言葉があります。

社会システムも大幅に変わりました。西洋化は都市部や一部の知識人に限られた西洋文明の摂取でもあったとも指摘されており、地方では多くの弊害が生じたようです。

地方の貧困化に贅沢外国文化(欧化政策)を快くおもわぬ国粋主義者の反対、政敵の動向等あいまって井上外交は頓挫。井上馨外相の辞任で鹿鳴館時代も終息に向かいます。

明治27年(1894)華族会館に払い下げられ、1927(昭和2)年には 現在の大和生命保険に売却され, 1940(昭和15)年に解体されました。

文明開化の象徴である鹿鳴館時代は4年程度の短い期間でしたが、後世に大きな影響を残した事は確かであり、鹿鳴館の華に代表されるように女子力を覚醒化させた事は明らかではないでしょうか。

今の日本文化。クールジャパンとして政府は輸出に力を注いでいます。国策に乗る考えもありますが、しっかりしたコンセプトが欠ける政策は途中挫折しかねない…多少の懸念があります。自由の雰囲気の元に文化は浸透発展するものです。

尚、鹿鳴館時代の雰囲気を今に残す施設として博物館明治村があります。

http://www.meijimura.com/