浮世絵ルネッサンスブログ2

浮世絵師とその作品

今回は活躍した時代別に代表的浮世絵師20人の概略とその代表作等についてみていきます。

菱川師宣は(1630~1694) 浮世絵の創始者と称される。独学で日本画の画法を独学で学んだあと独自の様式で浮世絵を芸術作品にまで引き上げたと言われている。

肉質画では「歌舞伎図屏風」「見返り美人図」 「吉原の躰」をはじめ多く精力的創作活動を行い木版画で複製を始めた作者でもあります。多くの弟子を集め絵を描く工房も作ったと言われています。

鳥居清信(1664~1729)

歌舞の絵看板を描いていた経緯から役者絵を浮世絵の人気ジャンルに仕立て上げた鳥居派の初代。荒事をダイナミッスに表現する「ひょうたん足みみず描き」といわれる画法を凝らし 歌舞伎役者の姿を描いた墨摺絵本から人気絵師となり、次々と浮世絵版画を描くようになりました。

「風流四方屏風」「立美人図」「娼妓画牒」「 東都両国夕涼之図」等

鈴木春信(1725~1770)

艶やかな多色釣りの浮世絵錦絵の創始者と言われ、 手足がか細くたおやかな肢体の美人画で有名。当時趣味人の間で多色摺が大いに好まれ有力なパトロンが春信に絵を発注していました。古典文学や逸話統制風俗に見立てて描くことがはやり春信の錦絵は高額な値が付いたと言われています。平賀源内 太田南畝といった文化人の交流から才能を磨き上品優美且つ文学的要素に富んだ作風を確立。また市井の美人等多く描いてそれが今でいうアイドルのブロマイド的に売れたようです。

「軒先物語」「笠森お仙」「風俗四季歌仙」「座敷八景」「風流やつし七小町」等

歌川豊春(1735~1814)

豊国 国貞 広重等人気絵師を輩出した歌川派の祖。遅咲きの絵師で当初は狩野派に学ぶもオランダから輸入された銅版画を参考に遠近法を学び浮世絵の風景画に表現したと言われる

「洛陽四条河原夕涼図」「観梅図」「浮画雪見酒宴之図」 等

 

鳥居清長(1752~1815)

役者絵を描いていた鳥居派の中で 八等身の美人画を描き一世を風靡。清長風美人を生みだした。また新たな表現方法にも工夫を凝らしていた。

「隅田川渡し船」「飛鳥山の花見」「当世遊里美人合」

喜多川歌麿(1753~1806)

美人画で最も知られている浮世絵師 版元蔦屋重三郎にその才を認められ美人画に新工夫を施し絶大な人気をえました。美人画に大首絵を導入し対象者の境遇や心情も鋭い観察眼で描いたとされています。国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家

「婦人相学十躰」「ビードロを吹く娘」「高名美人六家撰」「当時三美人」

東洲斎写楽(生没年不詳)

江戸時代中期の浮世絵師。約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と画業を絶って姿を消した謎の絵師として知られる。その出自や経歴については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年〈1763年〉 – 文政3年〈1820年〉)とする説が有力となっている。雲母摺、大判28枚の役者の大首絵は、デフォルメを駆使し、目の皺や鷲鼻、受け口など顔の特徴を誇張してその役者が持つ個性を大胆かつ巧みに描き、また表情やポーズもダイナミックに描いたそれまでになかったユニークな作品であった。その個性的な作品は強烈な印象を残さずにはおかない。

代表作として、「市川蝦蔵の竹村定之進」、「三代坂田半五郎の藤川水右衛門」、「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」

歌川豊国(1769~1825)

歌川派の勢力を一気に広げた完成期の人気浮世絵師 大衆のニーズを上手につかむ。強烈な個性はないものの親しみやすい作品に消化する能力は際立っており、社交的親分肌の豊国のもとには多くの門人が集まった。

「両国花火の図」「役者舞台之姿絵」「風流芸者身振姿絵」、『役者此手嘉志和』、『絵本役者三階興』等

葛飾北斎(1760~1849)

世界でも最も有名な画家と知られた浮世絵界の巨星。30回の改名と93回の引っ越しなど多くの逸話を残し、西洋の芸術家に多くの影響を与えた天才画家。

版画のみならず多くの肉筆画も残しておりいずれも評価が高い。「北斎漫画」「富嶽36景」

「諸国瀧廻り」「二美人図」「富士越龍図」「絵本隅田川両岸一覧」等

「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得るべし」との言葉も残しています。

お栄 (生没年不詳) 北斎の     3女として生涯北斎のアシスタントを務めるも画才は父が認めるものであった。現存数は少なく知られている作品「吉原格子先図」「春夜美人図」

菊川英山(1787~1867)

晩年の歌麿風美人画を継承。菊川派の祖 上品でかわいらしい美人増を描いていたが後に粋で洒脱な美人画が好まれるようになると大衆の好みには合わせられず、晩年は画壇を退いたようです。

「当世美人揃い」「風流名所雪月花」「東姿源氏合」「風流美人揃い」等

渓斎英泉(1791~1841)

妖艶な美人画で独自の地位を確立 武士として仕官するも其の後狂言作家として活動。一時英山風の美人画を描いたが女性の内面的情念を描き出した作風となり、風景画も遠近法の描写をした作品を描いている。酒と女を愛す放蕩無頼の人であり、奇行めいた人である。根津の花街に移って若竹屋里助と名乗り、女郎屋の経営を始めていた。晩年は文筆業にも関わり「続浮世絵類考」と俗称される考証学的にも優れた浮世絵の貴重な資料を残しています。

「浮世風俗美女」「浮世絵美人十二カ月」「美人東海道」等

歌川国貞(1786~1864)

歌舞伎役者を描いた役者絵で一番の制作数を誇っていますが、それだけでなく、江戸っ子たちの暮らしを描いた作品も最も多く残していま豊国の愛弟子でその後3代目豊国を継承。国貞の浮世絵には、さまざまなライフスタイルを送る人々が登場します。また、お洒落なファッションや流行のメイクにこだわりを見せる女性たちの姿も見逃せません。国貞の作品を通して、和の暮らしや着こなしが鮮やかに浮かび上がってきます。その制作された浮世絵数は膨大で総数は定かでないようです。

「江戸風俗百人美女」「大当狂言ノ内 八百屋お七」「今風化粧鏡」「星の霜当世風俗」「当世風見立士農工商」等の作品が有名です。

歌川国芳(1797~1861)

江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出しました。武者絵 妖怪画 戯画等自由な視点の作品が多く無類の猫好きで弟子の多さでも有名。暁斎 芳年なども育成 天保の改革で弾圧受けるもそれに屈せぬ反骨精神で江戸っ子の強い支持を得ていたことでも知られています。

代表作は「相馬の古内裏」 「通俗水滸伝豪傑百八人」「源頼光公館土蜘作妖怪図」「其まヽ地口猫飼好(みょうかいこう)五十三疋 」等多くのジャンルにわたります。

歌川広重(1797~1858)

当初は定火消同心と絵師との二束のわらじを履いていたが、その後絵師に専念名所画で人気を博する。派手さを抑えた静かな画風が好まれ「東海道五十三次」で風景画の第一人者となり「近江八景」「木曽街道六十九次」「江戸名所百景」等で風景画を浮世絵の主要なジャンルとして確立。構図は独特のものがあり 晩年は遠近法で独特の表現を示していました。

河鍋暁斎(1831~1889)

画家としての才能は早く国芳に7才で入門その後狩野派に学んでいる。反骨精神の持ち主 風刺画 戯画が多い。 自らを「画鬼」と称した。その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。虎を描いて評判となり狂斎と名乗りその後暁斎に名を変えています。英国人ジョサイアコンドルとの交流は有名。蕨には親族が運営する河鍋暁斎記念美術館がある。

「今昔未見」「舶来真虎図」「地獄極楽図」「暁斎画談」

月岡芳年(1839~1892)

国芳の弟子であり多種多様な浮世絵を手掛けた。衝撃的な無惨絵の描き手としても知られ、「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれる。浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師である。「正清三韓退治図」「新形三十六怪撰」「魁題百撰相」

三代歌川広重(1842~1894)

文明開化の華々しい様子を巧みに伝える報道画を独特の赤(アニリン紅)を使って描きました。これらは赤絵と称されました。最新のトレンドをビジュアルで伝えるニューストシテ全国で重宝されました。「東京名所之内」「横浜商館之図」「横浜海岸鉄道蒸気車図」「東京名勝高縄鉄道之図」等

小林清親(1847~1915)

明治維新幕臣として歴史的転換期を体験。写真技術から浮世絵に光と影を取り入れた浮世絵 光線画で人気

「九段坂五月夜」「イルミネーション」「東京新大橋雨中図」「柿に目白」

川瀬巴水(1883~1957)

鏑木清方の門下 はじめは美人画から風景画へ近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し新木版画の代表。「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。アメリカの鑑定家ロバート・ミューラー]の紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある。「東京二十景」「清洲橋」「日本風景集東日本編」等