クールジャパンの先駆者 葛飾北斎

葛飾北斎については多くの方がご存知だと思い今更とは思いますが、もう一度見直してみたいと思います。

江戸時代 今の墨田区昔の葛飾郡で生まれたといわれ、多くの作品と逸話を残して90才で永眠した浮世絵、肉筆画等の偉人です。

「北斎漫画」「富嶽三十六景」「諸国滝めぐり」「八方睨み鳳凰図」等

生涯、作風を変えるごとに画号を変え、30回、新人の気持ちで望んだ事との事。

名前の変更も30回に及んだ。これは、様々なジャンルに挑戦する過程で、真の実力を世に問う為に新人の振りをして画号(名前)を変えたことによる。“魚仏”、“雷震”、“時太郎”、“三浦屋八右衛門”、光琳派の絵には“俵屋宋理(そうり)”、最晩年は“画狂老人卍(まんじ)”と、もう訳がわからない。後年には絵画に歳を入れており、鑑定する人も大変だと思います。

引越し好きで生涯93回にも及んだ事は有名です。ひどいときには1日3回とも言われています。交流では滝沢馬琴の挿絵画を担当していた時期もあり、江戸文化文政時代の代表的文化人としても有名です。

1982年葛飾北斎を描いた「北斎漫画」が映画化。新藤兼人監督 緒形拳主演の作品で多くのエピソードが描かれています。

彼が広範に知れ渡ったのは、1867年のパリ万国博覧会を皮切りにジャポニスム(日本趣味)が起こってからです。この博覧会に数多くの美術工芸が出展。その際に輸出された日本陶器の包装紙に『北斎漫画』が使われ、そのデッサンの秀逸さに驚嘆した仏人の版画家が画家仲間に教え、そこから空前のジャポニスム=日本ブームが広まったという。

先日NHKの日曜美術館 でも放映されたように、北斎に影響を受けた画家には、ビンセント・ヴァン・ゴッホやエドガー・ドガなどがいて、ドガは『北斎漫画』を参考にした人物像を描いています。また、アンリ・リヴィエールは、「冨嶽三十六景」を下敷きに「エッフェル塔三十六景」という版画シリーズを制作し、アール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家のエミール・ガレは、『北斎漫画』の鯉を図案に取り入れた花瓶を世に送り出しています。音楽家のクロード・ドビュッシーも「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」に発想を得て、交響詩「海」を作曲したとされています。

このようにヨーロッパの芸術家に大きな影響を与えた北斎は、世界における評価が高く、1960年には、ウィーンで開催された世界平和評議会の席上において、世界の文化巨匠として顕彰され、また、1999年にはアメリカの雑誌『ライフ』で「この1000年でもっとも偉大な業績を残した100人」として、日本人でただ一人選ばれています。

江戸時代90才まで生きた北斎はこんな言葉を残しています。

「天我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得(う)べし」

特に有名なものは、北斎が75歳の時に出版された絵手本『富嶽百景』初編の最後にある跋文です。6歳の頃から絵を描いてきた北斎は、70歳以前までに描いた絵は取るに足らないもので、73歳にしてようやく動植物の骨格や出生を悟ることができたと述べています。そして、80歳ではさらに成長し、90歳で絵の奥意を極め、100歳で神妙の域に到達し、百何十歳になれば1点1格が生きているようになるだろうと、100歳を超えてもなお絵師として向上しようとする気概を語っています。100歳まで絵に対する情熱を燃やしていたようです。

彼の作品生き方は、われわれに何を示唆するか。

高齢化時代の星 老いてますます意気軒昂 自由人且つ発想力の豊かさと強靭な精神力。

時代、場所を越えたクールジャパンの先駆者である。 

※浮世絵は作者 彫師 摺師 版元 の連携で作られており同じ浮世絵でも出来に差が出来てきます。伝統文化として摺師 彫り師の育成継承も今後必要です。

※彼の作品の美術館としては地元の豪商 高井鴻山 の招きで何度か滞在其の縁で多くの作品を残す。

信州小布施 北斎館 http://www.hokusai-kan.com/

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