クールジャパンな外国人?ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

小泉八雲写真

 

日本の怪談で「耳なし芳一」「雪女」など一度は耳にした事があると思います。その作者小泉八雲についてはあまり知られていないと思うので、今回少し彼の事について書いて見ました。

概暦について

生年: 1850.6.27 没年: 明治37.9.26 (1904)

明治時代の英語教師,文学者,文芸評論家。帰化前の国籍はイギリス人。

ギリシャで生まれアイルランドのダブリンで育つ。

1865年 左目を傷つけ、以後隻眼となる。ロンドンから米国へ移住

1890年 英語教師として日本の松江に赴任

1891年 松江藩士小泉湊の次女セツと結婚。以後熊本 神戸に転居

1896年 日本に帰化(小泉八雲)東京大学にて英語教師を務めます。妻セツとの間には3男1女をもうけています。

1904年 東京の自宅で狭心症で54歳で没。戒名は「正覚院殿浄華八雲居士」。墓は東京の雑司が谷霊園です。

日本に来てはじめて住んだ松江の風情、人情が大変気に入り、日本の伝統的精神や文化に興味をもった八雲は、多くの作品を著し、日本を広く世界に紹介しました。彼の著作には、妻せつの尽力が多大であり、怪談話等は夫婦愛の賜物でもあります。

小説にもなっている良妻パートナー小泉セツ

松江藩士小泉湊の次女として生まれたセツは聡明な女性でした。明治初期の元武士の暮らしをけなげに支えており、八雲の手伝いから彼の正妻になりました。

小泉セツは第七十五代出雲の国造千家俊勝の次男の玄孫 (ひまごの子) にあたります。地元の八雲記念館の顧問をしているのが、 八雲の曽孫の小泉凡氏です。 出雲の千家と八雲の家系は細い糸でつながっているようです。

日本の文化をこよなく愛し帰化した八雲。 八雲は、 出雲の枕詞 「八雲立つ出雲」 にちなんで付けられたそうです。 八雲の前半生は家族に恵まれませんでしたが、セツと家庭を築き家族をこよなく愛しました。 出雲は八雲にとっても縁結びの地であったのでしょう。

こよなく出雲を愛した八雲でしたが、松江には1年半しか居住(武家屋敷)しませんでした。そのわけは寒さと雪に耐えがたかったということらしいです。精神的に少し辛抱が足りませんね。身体的にはやはり外国人なのでしょうか。彼の写真は目の影響で右顔を前にした写真が多いようです。

さて、今年話題になった高円宮家の典子様のご婚約。 お相手は出雲大社第八十四代出雲国造・出雲大社宮司千家尊祐氏長男 「千家国麿」氏です。 きっと良い御家庭をつくられることでしょう。

小泉八雲記念館

http://www.matsue-tourism.or.jp/yakumo/

小泉八雲

http://youtu.be/7rGtjSbmH6c